アメリカン航空が欠航

以前、ラスベガスから日本に帰る際、飛行機が欠航になったことがある。アメリカン航空でラスベガスからサンノゼ経由で成田へ帰るはずがサンノゼで足止め。

サンノゼからの便の機種点検で部品調達のため飛行機が1時間遅れ。
更に30分経っても飛ぶ気配全くなし。そこで突然の欠航。

ご存知の方も多いと思いますが航空機には、MEL(Minimum Equipment List)という運航基準があって少しでも安全性に支障の恐れがあれば機長が飛べないと判断し欠航となっちゃうアレですね。

サンノゼ空港のアメリカン航空のカウンターには長蛇の列。やっとカウンターにたどり着くと「サンノゼからの便はきょうはもうありませんので明日のフライトになります・・・」と。(ヤバイ帰れない。。。)

「今ホテルの手配をしますので、バスかタクシーで行ってください。・・・」「領収書とっておいてくださいね・・」

「領収書?」そうだ海外旅行保険に入っていた。(やった延泊だ!。。。)

宿泊費もタクシー代も食事代もタダ。ホテルはラスベガスのようにラグジュアリ的ではなかったがワインとピザが無性に旨かった。

 「You guys are not here!」(お前らここじゃない!)

両親の金婚式祝いにラスベガスへやってきた。ラスベガスへ観光する人は、オプショナルツアーとしてグランドキャニオンに行くことが結構多いのですが、私たちもご多分に漏れずツアー3日目にグランドキャニオンに行くことに。

ラスベガスのホテルへのピックアップはフォード のエコノラインあたり(アメ車のフルサイズバン)が主流で、ドライバー兼ガイド役がラスベガス⇔グランドキャニオン往復路を運転。

ラスベガスからグランドキャニオンまでの距離は、関東から名古屋辺りまでの距離なので結構大変です。しかもアメ車のフルサイズバンのほとんどが、ヘッドレストクッションがないので結構首が疲れるんですよね。

今回は80歳を超える“ご老人”を伴うのでラスベガスからグランドキャニオンまでは大型観光バスで行くことに。

しかし、車内に流れるガイダンスは全て英語。仕方なくガイダンスはスルーして景色を眺めるしかありません。

日本語の話せるツアコンみたいな人がいたわけではないので乗車や移動はすべて自分の「勘」に頼るのみ。。。

現地では雄大な景色をながめ、食事等をして2~3時間いたように思います。そしていよいよラスベガスへ帰ろうという時グランドキャニオンからのバスに乗り込み出発を待っていると、モーガンフリーマンみたいな人がこちらのバスに何度も乗り込んできて人数を何度も何度も数え直していました。

数えては降り、数えては降り・・・

すると、さっきのモーガンさん、血相を変え再びバスに乗り込んできた。

そして自分たちを指さして「You guys are not here!」(お前らここじゃない!)と・・・

どうやら乗るバスを間違えたらしいです。

あのまま出発していたら一体どこに行ってしまったのでしょう。恐らくカリフォルニアかユタあたりに行っていたのでしょうかね?

過去9回ほどラスベガスへ行った中での数少ないラスベガス失敗談です。

 いよいよラスベガスに出発

いよいよラスベガスに出発です。貧乏旅行なので成田までは車で行こうと思っていました。

今までも殆んどが車を使って空港まで行くのですが、時間に余裕を持たせた上で、のんびりと向かったほうが、旅の一行程がひとつ増えたような気がして、何か得したような気分になるからです。

(但し片道4.5時間を要すので帰りはかなりシンドイですが・・・)

ところが今回のラスベガス旅行は、79歳と73歳の両親が一緒なので、さすがにマイカーでは体力的にキツイと思い、成田までは高速バスを利用する事にしました。

普段、両親は国内旅行は頻繁にしているのですが、海外は初めてなので
成田空港の入港手前で行われる検問なども初めての経験でした。

検問は少し驚いた様子でしたが特に何事もなく第一ターミナルに到着しました。

 はじめてのラスベガス

はじめてラスベガスを訪れたのはかなり昔・・・

確か1996年の10月下旬でした。観光ではなく仕事の研修でオハイオのシンシナティ、NYバッファロー、カナダのオタワを周った後ラスベガスに行きました。

オタワからラスベガスへは4~5時間のフライトだったと思いますが、途中、機内でCAをからかいながら大騒ぎをするドイツ人ツアー客がいて、かなりうっとうしかった事を覚えています。

今思えば、「よく機長につまみだされなかったなぁ」って思うくらいそのドイツ人の観光客らはマナーが悪かったですね。

なので、「早くラスベガスに着かないかなァ!」・・・そればかり考えていたのでその4~5時間がとてもとても長かったです。

今でこそ、ラスベガスに関するブログやWebサイトを運営している私ですが、元々ラスベガスはそれほど行きたいと思う街ではありませんでした・・

というか、「出来ればラスベガスはスルーして次の予定先のロサンゼルスに行って欲しい!」・・と。

当時、私のイメージするラスベガスは「マフィアが牛耳る暗黒街(-“-;A)」みたいなイメージがあって、「ラスベガス=ギャンブルをするところ・・」くらいで、全く興味がありませんでしたから・・・

ところが、思っていたラスベガスと実際のラスベガスのギャップは、それは☆それは、凄かったですね。

飛行機が着陸態勢に入り、ラスベガスの上空を旋回しはじめたころ、窓越しに観る夜景の素晴らしさには本当に感激しました。
(感激という簡単な言葉では表現しきれませんが)

今思えば、ストラトスフィアタワーの展望台から観る、あの夜景ではなく、「これが本当に砂漠の中!?」と思ってしまうほどの、まさに「宝石箱」をひっくり返したような素晴らしい景色でした∑(゚Д゚)

 黒人女に絡まれた!「ラスベガス安全説」が 崩れた瞬間

両親が金婚式、お祝いにラスベガスへ

2009年3月、両親が金婚式を迎えることとなり、お祝いにラスベガスへ。

今まで親不孝はたくさんしたけれど、親孝行なんてしたことがなかったのでちょっと無理して奮発するも「アメリカなんて物騒な!!」と口を揃える両親。

「大丈夫~!俺に任せて!ラスベガスは今まで一度も危ない目に遭ったことないから!」(実際そうでした)

ところがそういう時に限って神話は崩れるんですね。。。(悲)

ラスベガスに着いて2日目、4人揃ってプレミアムアウトレットに行ったときの話しなんですが、ラスベガスのホテルからプレミアムアウトレットタクシーで行くことも可能でしたが、それではあっという間に到着してしまうのでつまらないと思い、移動手段は二階建てバスの「デュース」を使うことにしたんです。

このデュースは一回$2。一日券を買っても$7という安さでラスベガスでは非常に人気があります。

私たちの滞在しているパリスホテル前に停留所があり、そこから南回りで乗車。そこそこ混んではいたがラッキーな事に2階席の最前列に座ることができました。両親も夜とはまた一味違ったラスベガスの風景に満足そうでした。

しかし、この「デュース」はアウトレットまでの直通がなく、ストリップを北上した途中で下車しなければならないのですが、降車する停留所を勘違いしてしまいダウンタウンを北上し、終点ターミナルまで行ってしまったんです。

このターミナルは相変わらず浮浪者みたいな者の溜まり場になっていて、ラスベガスのエリアの中では非常に治安の悪い場所。

元々海外旅行(特に物騒なアメリカ)に乗り気ではなかった両親に、ラスベガスは治安がいいという事を何度も言い聞かせていたので、一刻も早くその場を立ち去りたかったですね。

数年前ラスベガスに来たときにも、この終点ターミナルで降ろされてしまった事があり、深夜の遅い時間帯だったので非常に怖い思いをしたことがありました。

ともあれ、時間もかかってしまいましたが、無事にプレミアムアウトレットに到着。

私と父は特に欲しい物はありませんでしたが、嫁と母はCOACHでの買い物に没頭。

母は土産を買いあさり、またそれを嫁に見立ててもらったというお礼に、嫁にまでバッグを奮発するというハイテンションぶりでした。

そして満足のいく買い物も済ませ、午後2時を過ぎたのでそろそろホテルに戻ろうという事になり、持ちきれないほどの買物袋を両手に抱え、私たち4人はバス停へと向かいました。

どこにバス停があるのか定かではなかったのですが、周りの人が歩く方向へと一緒になって付いて行きました。

すると、そこに巨漢の黒人女性2名と数人の白人男性がバスを待っていました。私は何気にふと、バス停の案内板を見ました。するとそこには「キャットバス」という文字は表示してあるのですが「デュース」という文字がどこにも見当たらないのです。

「キャットバス?このバスでいいのだろうか?・・・」

私はその2人の黒人女性が、ベンチに座って何やら雑談しているのが目に留まり、二人に歩み寄り、話せもしない片言の英語で話し掛けてみたんです。

私はチケットを見せながら「このチケットでキャットバスは乗れますか?」と聞いてみました。(本人は聞いているつもり)

今思えば、異国の地で気楽に外国人に話しかける自分の姿を、何気なく両親に見せたかったのでしょうね。

ところがそれが裏目にでてしまったのです。

その2人の黒人女性は私の言葉を全く理解できなかったのか、ただ不機嫌な顔をするだけで、凄く無愛想な態度で私をあしらいました。

私は「聞く相手を間違えた!」と瞬間的に思い、途中で話すのを諦め、家族の所まで戻って行きました。(これで何事もなかった筈でした)

すると、先程の2人の黒人女性のうちの1人が私たちの所にやってきたんです。

結構な早口だったのでよく意味が把握できなかったのですが、何となく・・「さっきのチケットをもう一度みせて!」という感じに聞こえたので、私がチケットを見せると、そのチケットを指して何やら喋り始めたんです。

私は先ほど質問した意味を理解してくれてご丁寧にも説明に来てくれたのかと一瞬思ったのですが、しかし言葉の語尾が物凄く強く、捲くし立てる様な話し方だったので、それとは違う事はすぐに察しが付きました。

話の内容はこんな感じです・・(たぶん)

私の持っていたチケットを指して

「これは彼女(片方の黒人女性)の落としたチケットだから返しなさい!あなた、さっきこれを(チケット)落としませんでしたか?と尋ねて来たたじゃないの!?」

言いがかりなのか、詐欺なのか・・・(笑)

「NO!NO!NO!」何度言ってもラチがあかず、いずれにせよ相手にしてもしょうがないと思い、(本当はとても怖かったから(笑))その女たちを振り切るようにその場は無視してタクシースタンドへ歩き出しました。訳が分からない嫁と両親は私の後を追います。

過去、ラスベガスに来てこんな嫌な思いは味わった事がなかったのに・・・

なぜ今回に限って!?・・・

ラスベガスは治安のよい街!”を両親にも豪語してきたのに!・・・

私の中で“ラスベガス安全説”が崩れた瞬間でした。嫁や両親にも嫌な思いをさせてしまった。

あんな事、聞かなければよかった!・・・

帰りのタクシーの中、4人はとても無口だった。

全く同じ光景が、とたんに“日常”に

「旅行はご自宅に着くまでが旅行です!」と、よくバスガイドさんがいっていた・・・・

リアルな明言です。

これは「ここで旅行は終わりますが、家に帰るまでは気を抜かず気を付けてくださいね」という事なのでしょう。

でも、私の場合、自宅に着く前に、既に旅行は終わっちゃってます。(悲)

いや、厳密に言えば、復路の飛行機が現地を飛び立った瞬間、もう旅は終わってますね。。。。 😭

いつも、指折り数え、やっと迎える旅行当日。そりゃあもう、朝からルンルンです。

成田に向かう「サルビア号」(成田国際空港行きリムジンバス)を待つ間さえ、
もう既に「海外旅行」は始まっていますから(笑)

「サルビア号」が到着するやいなや、写真をパチリ!成田に着けば、空港をバックにそこでもパチリ!もう、全てに「海外」が始まっちゃっています。

ところが、異国で、非日常的な文化に触れ、日本とは違う匂いを感じ、壮大な自然に触れ、母国では得られない学びを経験し、帰国の途に就くと、出発前に見た、あの全く同じ光景でさえ、とたんに「日常に」に変わっていて、それが、紛れもなく「現実」であることに気づかされます(悲) 😒

着陸態勢に入った飛行機の窓から覗く成田の風景や、到着ロビーで、キャリーバックを転がす自分の姿にもう海外旅行の気分はありません。

ああ〝~楽しい旅行も終わっちゃったよ・・・・ 😞これ、結構寂しいですよね。

ラスベガスの既成概念

初の海外出張の4日目に組まれていたラスベガスにはかなりガッカリ・・

「ラスベガスなんて所詮ギャンブラーで賑わう下品なネオン街だろ。

オレはギャンブルしないし、2日もどうやって時間をつぶせというんだ!・・・」

ところが実際に行ってみると私が思うラスベガスとは全然違っていた。

そう,「既成概念」てやつですね。

そんなこんなでラスベガスの魅力にすっかりはまり、その後ラスベガスへは訪れる事9回。最初に行った1996年当時のラスベガスは、テーマホテルもそれほど多くなかったですね。

せいぜい、ミラージュMGMグランドルクソールくらいでアリア・リゾートはおろか、ベラージオもウィンもベネチアンもありませんでした。

ネバダの砂漠に、南国ポリネシア、北イタリアのコモ湖畔、フランスの田舎町、モナコ、古代エジプト、イタリア北東部のヴェネツィア等々・・

世界各地のリゾートどころを街全体で作っちゃったところがラスベガスの凄いところ

でも、もっと凄いのは、映画「バグジー」のモデルとなったマフィアのベンジャミン・シーゲルという男。

水も電気もない砂漠地帯に、カジノホテルを建設する夢に取り付かれラスベガスを世界一の歓楽地にした立役者ですから。